育児をビジネスに活かす「イクビジ」

イクメン」という言葉が浸透し、男性の育児参加が求められるようになりました。

男性が育休を取得したり、企業側が取得しやすい環境を整えることが、社会的な要請にもなってきています。

しかし、育休は、キャリアを考えると単なるブランクです。

また、企業も、育休期間の所得やその後の処遇も「補償」するのなら、単なるコスト増です。

そこで、育児の取り組みが仕事のスキルアップにもつながる方法を考えてみませんか?

そうすれば、イクメン促進は、企業にとってもコストから投資に代わり、社員にとっても、単なるブランクが貴重な成長機会となります。

そういった活動をビジネスに活かす育児ということで、「イクビジ」と呼んで、アイデアを書いていこうと思います。

読み聞かせでプレゼン力をアップ

記念すべき第一回目は、「読み聞かせでプレゼン力をアップ」です。

本の読み聞かせは、お風呂入れと同じくらい、定番のパパのお仕事ではないでしょうか?


でも、実際やってみると、全く反応がなかったり、どこかに行っていまったりと、気が滅入ってきます。
特に生まれて間もない赤ちゃんへの読み聞かせは、最初は、本当に聞いてくれているのかどうかもわかりません。

でも、大人の世界でも、そんなこと日常茶飯事ですよね。

誰も聞いてないのに、ただただ、原稿を読み続ける。

そんなシーンはありませんか?

その対処方法を、読み聞かせで鍛えるのです。

あの手この手で、子供の注意を惹くのです。

・はっきりゆっくりと話す
・わかりやすい言葉に変えてみる
・声の大きさを変えてみる
・ジェスチャーを入れる
その他あらゆる手段を試す

あなたが本を手にするのを見た瞬間に、ヨチヨチと近づいてきて、膝にちょこんと座るようになるのです。

そうして、子供は、あなたにとって、最高の観客になるのです。

会社でも同様です。確かに内容も大事ですが、注意を引くための努力が、相手を振り向かせるのです。

あなたが、パソコンをプロジェクターにつなげた瞬間、人が集まってくる。

そんな魅力を、読み聞かせで磨きましょう!

名乗り出るということ

仕事で疲れ果て帰ったある晩のことです。


妻は、起きて待っていてくれたのですが、
あまりにも眠たかったので、すぐに着替えて
子供たちが寝ているベッドに向かいました。


そして、子供のほっぺをプニプニ触りながら、
夢の世界へ入り始めました。


その時、まるで現実世界への別れの挨拶をするかのように、
僕のお尻から「プスッ」とおならが出たのでした。


その後に、本当の静寂が訪れ、僕は夢の中へと入り込んで
行きました。


それから、しばらくして、妻がベッドにやってきました。





「大変、子供が、ウンチもらしたみたい!!」




その声で、僕は一気に現実世界へ戻されてしまいました。



妻は、まだ騒いでいます。



「パパ! 子供のパンツの中確かめてみて!!」


僕は、まだ何が起こったのかわからないまま、
子供のパンツの確かめました。


「漏らしてないけど?」



「え、おかしいなぁ。むちゃくちゃ臭いんだけど…


僕は、一気に目が覚めました。


あの、ささやかな「おやすみ」のあいさつのつもりだったのですが、
恐るべきパワーを持っていたようです。


「どこかに、ウンチが落ちてたりしない??」


と、妻は、鼻をクンクンさせながら、
ベッド中の調査をしています。



そんな妻の姿を見て、僕は気まずくなってきました。
もう、とても正直に言い出せるような雰囲気じゃありません。



しかも、なぜか、笑いがこみ上げてきたのです…。


ここで笑ってしまったら、すぐにばれてしまうことでしょう。。。



「子供が寝ながら、オナラしたんじゃない?」



ああ、なんということでしょう!


僕は、あろうことか、子供に罪を擦り付けてしまったのです。。。


結果的にこの一言で、事態は収束し、
また静寂が戻ってきました。


でも、僕の心中はおだやかではありません。


心の中で、子供に何回も謝りました。



そして、次の日。


せっかくのお休みの日でしたが、その日はあいにくの雨でした。



子供たちは、お絵かきをして遊んでいます。


僕は、すこしパソコンをいじっていました。


その傍らに、飴玉が10個くらい転がっていたので、
なんの気なしに一つを口にしました。



その後、妻に頼まれ、いやいや
すすんで、お風呂掃除をしていたのですが、


リビングの方で、子供たちの騒ぎ声が聞こえ始めました。


また、しょうもないことで、喧嘩を始めたに違いありません。


僕は、お風呂掃除を途中で切り上げ、
子供たちの元へ向かいました。


「なに、さわいでんの??」


その問に対し、子供たちは、口を揃えて、


「飴が1個なくなったの!!」


…数えてたんかいな。。。


子供たちは、騒ぎ続けています。

いつの間にか、ママも巻き込まれ、
盗難事件が発生したかのような、騒ぎになっています。


「パパ知らない?」


「え?」


「し、知らんよ」



…また、やってしまいました。


すまん。

この雰囲気では、とても言い出せな…


ちょっと待て!


それでいいのか?


昨日のオナラの件を無駄にする気か!!


昨日の件を、本当に、すかしっ屁にしてしまうつもりか!!

僕は、後一歩のところで踏みとどまりました。


そして、勇気を出し、


「ごめん、実はパパがひとつ食べた」


と、告白をしました。




「なに、子供のお菓子を食べてるの!!!」



僕は、こっぴどくママに怒られました。



正直に言ったからと言って、褒められるわけではないんですね…。


でも、黙ってちゃいけない。。。


名乗り出るって、とてもとても大変なことだなあと思いました。

第六編 赤穂浪士はけしからん

はじめに

今日、12月14日は赤穂浪士が吉良邸へ討ち入りした日ですね。
忠臣蔵」は、今も語り継がれ、何度も時代劇や映画になっているほどの人気の物語です。

福澤諭吉先生は、そんな「忠臣蔵」の物語をバッサリと批判しながら、
最近仕事をしていると必ず言葉に出てくる「コンプライアンス(法的遵守)」の重要性について、
わかりやすく説明してくれています。

SEを守る国や会社の役割

国や会社はSEの代表として、頑張っているSEが快適に仕事をできる環境を作る役割を担っている。

国や会社がきちんとやってくれれば、SEは安心してシステム開発に従事できる。

仮に、国や会社が何もやってくれなければ、悪い顧客が納品後に入金を渋ったら、SEは必死に代金の回収にあたらねばならない。相手が逃げたら、必死で見つけ出し、隠し資産を暴き、即座に差し押さえる。

しかし、そんなことを毎回やってられないし、やろうとすれば莫大な費用と労力がかかるだろう。

だから、SEは、会社や政府に委託し、悪人を取り締まるなど、本来のは業務に従事できる環境を整備してもらっているのだ。

SEや会社は、委託料として、役人への給料や諸経費を政府に税金(所得税法人税など)の形で支払うという契約を結んでいる。

また、SEは会社へ対しても「管理費」などの形で「雑用」にかかる費用を間接的に支払っている。

法とは何か?

政府は国民の代理であり、会社はSEの代理であるということは、国や会社が決めたことに対しては、SEも責任を持たなくてはならない。

つまり、政府が決めた法律や会社が決めた規則は、厳格に守らなければいけない。

同様にSEが、快適に働くために会社と社内規則を守るという行為も同様である。

法律や規則を破るということは、自分たちが快適に働くためのルールを破るということだ。

法律を破ったことで政府や会社に罰せられるのは、周りのSEに罰せられるのと同じことだ。

つまるところ、SEは二つの役割を持っている。
一つ目は、自分の代理としての政府や会社を立て、悪人をやっつけ、善人を守る役割。そして二つ目は、政府や会社と約束したルールをしっかり守って善人として保護を受ける役割だ。

このようにSEは政府や会社と約束して、政府に仕事を委託したわけなので、ルールに背いてはならない。

強盗すら懲らしめてはならない

しかし、日本ではルールを守らなかったときに受ける罰を恐れるが、ルールそのものを尊重するという意識が少ない。

そこで、次に私刑がだめな理由と法律や規則の尊さについて改めて述べる。

例えば、あなたの家に強盗が入ったとしよう。

家族を脅し、金品を要求してくることもあるだろう。

家の主人としては、警察に通報し、強盗を取り押さえてもらうよう要請するのが本来の仕事だが、そうは言っていられない。

このまま放っておいては、財産だけでなく、家族も危険にさらされる。

そこで、自分たちで強盗を取り押さえ、その後、通報すると言うこともあるだろう。

取り押さえる際に、棒や刃物を使い、強盗を傷つけることもあるだろう。

足の骨を折ったり、最悪の場合、殺してしまうこともあるだろう。

これは、自分たちの命と財産を守るための自己防衛措置であり、強盗の罪を咎め、罰するためにやったことではないだろう。

罪人を罰する権利は裁判所だけがもっており、我々は持っていない。

強盗を捕まえ、拘束した後は、我々は強盗を殺すのはもってのほか、殴るどころか指一本触れてはならない。

警察へ通報し、その後は裁判に任せるのみである。

もし、強盗を取り押さえた後、怒りに任せて殺めたり傷つけたりした場合は、無罪の人に対しリンチするのと変わらない。

法を犯せば被害者でもムチ打ちの罰を受ける

例えば、ある国に「10円を盗んだ者は、ムチ打ち100回の刑、他人の顔面を蹴っ飛ばした者もムチ打ち100回」という法律があったとしよう。

この国で、強盗が10円を盗んだが、家の主人に取り押さえられ、拘束された上に顔面を蹴っ飛ばされた時、強盗は10円を盗んだ罪でムチ打ち100回の刑を受け、主人も他人の顔面を蹴っ飛ばした罪でムチ打ち100回の刑を受けるのだ。

法律とはこれほど厳粛なものなのだ。

赤穂浪士はけしからん

上記を考えれば、敵討ちはやってはいけないということが良くわかるだろう。

自分の親が殺されたとしよう。犯人は、もちろん殺人者としての罪人だ。

この殺人者を裁けるのは政府だけであり、被害者の子供であっても復讐は許されない。

越権行為であるだけでなく。国民としての職分を見誤り、政府との約束を踏みにじったに等しい。

万が一、政府がこの殺人者を不法に擁護し、無罪判決を下したら、判決に対し、政府へ異議を唱えるべきなのだ。

決して自ら制裁を加えてはならない。

例え、その仇を街中で見かけても、手をかけてはならないのだ。

江戸時代に、浅野家の家臣が主人の仇討ちといって吉良上野介を殺した事件があった。世にいう「赤穂義士」「忠臣蔵」の話である。

全くもってけしからん。

赤穂浪士はどうするべきだったのか?

この時の日本の政府は徳川幕府だ。浅野内匠頭吉良上野介も浅野家の家臣もみな日本の国民であるから、政府の法律に従い、政府の保護を受けるという約束を取り交わしている。

しかし、吉良上野介から不当ないやがらせを受けた際、浅野内匠頭は幕府に訴えることをせずに、怒りに任せて自ら吉良上野介を斬ろうとし、双方の喧嘩に発展した。

それを受けて幕府は浅野内匠頭切腹を命じた。しかし一方で、上野介へは罰を下さなかった。

この裁決は、「喧嘩両成敗」の原則に反しており、確かに不公平と考える者がいても不思議ではない。

浅野家の家臣も、裁決に不満があるのならなぜ政府に訴え出なかったのか!

四十七士できちんと協議して、それぞれが法で定められた手続きに従い、一人ずつ順番に直接幕府に直訴するべきだったのだ。

ロクでもない政府なので、最初の数人は訴えに耳を貸してもらえないどころか、逆に捕らえられ、殺されることもあっただろう。

ただ、何人殺されようとも、恐れることなく、次々に訴え出ては殺される、ということを繰り返し、四十七人もが原理原則に従っていれば、悪名高き徳川幕府といえども動かざるを得ず、上野介にも適切な罰を下し、公平な判決へと修正されただろう。

こういうことをして初めて「義士」と呼べるはずなのに、この道理を知らず、国民の立場にいながら法律を軽んじ、怒りにまかせて上野介を殺したのは、国民の職分を取り違え、権利を越えたリンチであると断じざるを得ない。

この時は幸いにも、幕府がこの赤穂浪士に対し、適切な処分をしたため、無事に治まったが、もし、幕府が黙認していれば、吉良家も黙っているはずがなく、今度は赤穂浪士に対しての敵討ちが行われたであろう。

その後、今度は赤穂浪士がさらなる敵討ちを、次は吉良家、そして赤穂…と、双方の一族が滅び去るまで続いていただろう。

再現なく殺し合いが続く、この世の終わりのような世界となってしまうだろう。

勝手な越権行為が秩序を破壊する

かつて日本には、農民や商人が武士に対して無礼を働いた際、武士の裁量で斬り殺してよい「切り捨て御免」と言う、遺憾極まりなルールがあった。

幕府が公に「私刑」を、許したものである。

法律は、政府によってのみ作られるものだ。社内規則は法律の範囲で経営者の責任で作られるものだ。両者とも個人が独自に作るものではない。

セクハラ、モラハラ、パワハラなどは、会社での役職と権限を取り違え、上司が部下に対し、過剰な労働を強いたり、人としての尊厳を傷つけたりする例だ。

それらは「切り捨て御免」と同様で、上司が勝手に政府や会社の権限を振りかざす行為である。

また、社員の方へ目を向けると、勤務時間を水増ししたり、私的に使った費用を経費として虚偽申請したりする行為はもっての他である。

会社の資産管理は会社のルールに従って行われるべきなのに、社員の勝手な判断で着服する行為が許されるわけがない。

たちの悪いコンプライアンス違反とは

最もたちの悪いコンプライアンス違反は、談合や粉飾決算など経済事件につながるような違反である。

エンロン事件でもわかるように、会計上の不正行為は、世界経済のバランスを脅かすことすらある。

実際に法を犯した当事者は「会社を守るために仕方なくやった」と弁明するかもしれない。

私腹を肥やすためではなく、「会社のため」という大義名分で違反するから、余計にタチが悪い。

自分が英雄になったと勘違いする輩もいるが、実際は英雄から程遠い行為であることを認識しなければいけない。

やってよいことと、やってはならないことは、法で厳格に決められているのに、個人の勝手な判断で法を破り始めたら、秩序が崩れるのは当たり前のことだ。

コンプライアンスの重要性

コンプライアンスの重要性をわかっていない者は、違反を犯したときの罰を恐れるが、法律自体の貴さを知らないため、巧妙に違反しようとする。

法を犯したことで、罰せられたとしても、尊い法律や規則を破ったことの重大性について罰せられたという思いよりも、バレたから罰せられたと自分の不運を嘆く。

こんなことでは、快適に仕事をすすめる環境は実現し得ない。

とにかく決まった法律や規則は守らなければならない。

その法律がどうしても業務に差し障りがある場合は、遠慮なくその旨を政府や会社に主張すればよいのだ。


(おまけ)我が慶應義塾での出来事

最近、我が慶應義塾でもコンプライアンスにまつわる小さな出来事があった。

華族の太田資美君が、一昨年前に私費投じて米国人の教師を雇っていたのだが、任期が来たので、新たな米国人教師を雇い入れようとした。

本人から内諾をもらい、太田君が役所へ、彼を文学および科学の教師として雇う申請を出した。

しかし、外国人教師として雇うには、本国での学科卒業の免状が必要とのこと。

しかし、彼が免状を持っていなかったため、雇用が認められなかった。

語学の教師として雇うのなら、免状が不要なので、取り敢えず語学教師として許可を貰えばよいのでは?という意見もあったが、やはり、決まりは厳格に守るべきと考えた。

この教師は、免状など持たずとも、我々が求めている素養を持っていることは明白だし、学生にとっても本当に貴重な機会が得られるチャンスであったにもかかわらず、我々は法の遵守を優先し、泣く泣くその年の雇用を諦めたのである。

このエピソードは、あくまで私的で些細なことであるが、コンプライアンスについての議論の参考になると考え、最後に付記させてもらった。

おすすめ本

学問のすゝめ (岩波文庫)

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学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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学問のすすめ (まんがで読破)

学問のすすめ (まんがで読破)

第五編 豚に真珠 社畜にIT

はじめに

 「SE版 学問のすすめ」もようやく第五編までたどり着きました。
 本編は福澤諭吉先生が、慶應義塾で新年の挨拶をしたときの言葉のようです。
 今回は、SEから見てお客様、システムを導入するユーザーについての話に置き換えてみました。
 システムを効果的に使うための秘訣とは??

本編も少し難しい

「SE版 学問のすすめ」は、元々若手SE向けに書いたものなので、初編から三編まではなるべく読みやすく書いたが、第四編は若干難しかった箇所もあると思う。

また、本編である第五編も中堅SE向けになっているため、難しい箇所が何箇所かあるかもしれない。

六編からは再びわかりやすく書いていきたいので、ご了承いただきたい。

明治七一月一日の詞

我々は今日、慶應義塾で明治七年の正月を迎えることができた。明治の年号は我が国が独立した特別な年号である。

本塾は、独立のための塾だ。

独立の塾で独立の年を迎えたことは、甚だ喜ばしいことである。

しかし、喜びの日が存在するということは、反対に悲しみの日も存在することだ。

独立が失われた時、悲しみの日が訪れるということを決して忘れてはならない。

日本が滅びなかった理由

我が国は長年に渡り、内戦を繰り返し、政権も移り変わっているが、今日に至るまで国自体がなくなったことはない。

それは、鎖国していたために、外国との関与がほとんどなかったからである。

平和と言っても、国内に閉じた平和であり、かつての戦争は国内での内輪もめに過ぎなかった。

諸外国と独立を賭けて争ったこともないのだ。

例えるなら、子供が家族だけに可愛がられて、まだ他人とコミュニケーションをとったことがないという状態に等しい。

我々は、外国との関わりについては、初心者だということを知らねばならない。

IT導入よりも大切なこと

現在、多くの企業が、重要な経営課題として、「グローバル」という言葉を挙げる。

欧米だけでなく、アジア諸国の発展も著しい、グローバルなマーケットで戦っていく力が必要だ。


企業の力というものは、形だけでは判断できない。

ERP、SCM、SFAナレッジマネジメントなどさまざまなITインフラが導入されているとしても、それは単なる形に過ぎない。

形を整えるのは対して難しくない。設備を買ったり、コンサルを雇ったりと、金をかければできることである。

それ以上に本当に大切なものが別に存在する。

それは形を持っていない。

目に見えないし、耳にも聞こえない。売り買いもできないし、貸し借りもできない。

そのくせ影響力が大きく、これがなければ上述の投資は全く意味をなさない。

それは何かというと、社員の独立の精神である。

変革の意志が生まれない理由

企業はこぞってITを推進してきたが、未だに変革の風土が生まれていない。

たまたま変革の必要性を知ったとしても、リスクを怖れて何もやらない。

結局のところ、変革の意志がなければ、ITは無用の長物となるのだ。

変革の意志が生まれない我が国の風土は、数千年に渡って、「お上」が何もかもお膳立てしてきたことが原因だ。

軍備から文化、工業から商業まですべて政府が関与してきた。
そのため、国民には受身の姿勢が染み付いて、自ら国を変えようという意識はなくなっていた。

さらに最近に至っては、さらに状況が悪くなっている。

物事は、常に動き続ける。進むものは進み、引くものはどんどん引いていく。

現在の日本企業は、ITの導入は進んでいるが、社員の気力は日に日に減衰している。

例えば、江戸時代は幕府は力で民衆を威圧してきた。
民衆は、心から幕府に服従していたのではなく、自分の力が幕府と比べて劣っているために、いやいや、形だけ服従する振りをしていたのである。

今の会社は、社員に対し至れり尽くせりのサービスを提供している。

毎日決まった時間に出社し、決まった時間まで言われた通りの仕事をしていれば、一生を保証してくれるのだ。

さらに、税金の支払い。社宅。ローン。老後の蓄えまで面倒を見ているところもある。


かつての政府が民衆を力で押さえつけていたのに対し、今の会社は、社員の依存度を高めている。

社員はこう言うだろう「辞めたいんだけど、子供のことを考えるとね」「老後を考えるとね」と。

昔の政府は、民衆を力で押さえつけていたが、今は心を挫いている。

ITの導入により、仕事の質は大きく変わる。

煩わしい紙での決裁が簡潔になるなど、事務処理の手間は大きく省ける。
また、社内の知識も共有され欲しい情報がいつでも簡単に取り出すことができるようになった。

これにより、付加価値の高い仕事へシフトするべきなのに、環境の変化について行けず、ただただ感心するばかり。

外に打って出ようという気力を出す前に萎縮してしまっている。

これでは、ITは全く生きない。

「勇力」を持って立ち向かえ!

社員は付加価値を追求し、切磋琢磨し、羨望し、企業として新たな価値が生まれた時は、皆でそれを祝福する。これが理想の姿だ。

つまりITは、企業が新たな価値を生み出すための道具に過ぎず、使う側の意志によって価値が生まれるのだ。

しかし、多くの企業が使いこなせていないのが現状だ。

現状、あっと驚くような先進的なビジネスを思い付けないのか、会社の将来について真剣に考えていないのか、世間に流され、会社に依存しているだけなのかは知らないが、皆事を荒立てることなく、目の前の事務作業に奔走し、疲弊している。

傍らから見れば、滑稽に見えるが、社内では皆がそれが当たり前だと思っているし、逆に会社を良くしようという活動を小馬鹿にしているケースさえありうる。

特に誰が悪いというようなことではないが、会社にとっては大きな危機だと言わざるを得ない。

我々、慶應義塾は、幸いにもそのような災難に陥ることなく、独立を維持している。
しかし、世の中の流れというのは相当力が強く、ややもすると我々の独立も簡単に失われてしまいかねない。

その流れに立ち向かう「勇力」が必要だ。「勇力」は読書だけで培われる物ではない。

読書は、学問の手段の一つに過ぎない。

学問は「勇力」を培うための手段の一つに過ぎない。

実践しなければ「勇力」は育たないのである。

我が同志で、「勇力」を身に付けた者は、貧しさに耐え、困難を乗り越えてイノベーションを起こす。

そういう中で生まれた発明やビジネスが会社を変え、社会を変え、世界に通用する力となるのだ。

これから数十年後の新年の挨拶の時には、今日の事を思い出し、さらなる飛躍を祝えることを切に願う。


おすすめ本

学問のすゝめ (岩波文庫)

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学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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学問のすすめ (まんがで読破)

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第四編 ブラック企業がはびこるのはSEがバカだからである

はじめに

第三編をアップしたのが、なんと2012年の1月! 1年半以上ぶりとなってしまいました。

第四編は「明治維新以降も、欧米と比べて日本がパッとしないんだけど、なんでだろう?」という問題提起から始まり、「その原因とは人民の無知文盲即ちこれなり」とバッサリ斬って、さらに当時の日本の病巣に迫るという展開です。

そこで今回は、「ブラック企業がはびこるのはSEがバカだからである」という少し過激なタイトルにしてみました。

日本のネット企業が束になってもGoogle先生にまったく歯が立たない件について」というエントリーにも書かれているように、現在の日本のネット業界もパッとしません。この記事を読んだ時は、正直、まるで人ごとのように感じました。

 しかし、福沢諭吉先生が第四編で書かれているように、パッとしないのは、一人ひとりのSEの責任でもあったのです。。。今までの仕事に対する姿勢を振り返り、自戒の念を込めて、本編を訳してみました。

日本のIT業界がパッとしない原因

日本のIT業界について、あるSEはこう言う「確かにこの先何が起こるかわからない。しかし、いくらなんでも、消えて無くなることはないだろう。今の調子で順調にいけば、少しずつは成長するだろう」

一方で「あと、20年か30年経たないとどうなるかわからない」と存続を疑う者もいる。

将来を悪く言うアナリストの言葉を鵜呑みにし、明日にでも潰れると思い込み、身の処し方を考えているSEもいる。

そもそもこのように業界の存続についての話が出るのは、存続について疑いがあるからである。皆が我が国のIT業界ついて何かしらの不安を抱いているということであろう。

日本のSEならば、そういう事実に対し、黙っていられるであろうか?いや、いられるはずがない。

企業が日本のIT業界の命運を握っているのはもちろんのこと、一人ひとりのSEの力も重要なのだ。業界の存続と発展は、企業とSEがそれぞれの責務を全うすることで実現される。

今の日本のIT業界が外国のIT業界と比べて劣っていること。それは、発想力、技術力、実行力である。これらが三位一体となって事業が発展するのだが、残念ながら不十分だ。

これまで、日本企業に怠慢があったわけでもなく、実力がなかったわけでもない。ある根深くて致命的な問題のために、ほとんど改善されていないのだ。

その問題とは、SEがバカだということである。

業界はそれに気づいており、さまざまな資格制度や人材育成プログラムなどを駆使して、優秀なSEを輩出しようと努力してきた。

それに反して、ブラック企業は増加の一途を辿っており、SEはますますバカになっている。

業界の構造

大企業は資金力があるため、人材育成にも積極的だ。

しかし、大企業に属するSEは目先の実務のことばかりを考え、学習意欲がない。研修に行っても、居眠りをしたり、内職で実務を行ったりしている。

企業が研修へ行かせる意味が全くわかっていない。

せっかくのスキルアップの機会を自ら潰し、業務効率化の意識も低いため、長時間勤務の問題はいつまでたっても解消されない。

このように、大企業に所属するSEも、ビジョンもなく与えられたタスクをただこなしているだけの者が多い。

そのくせ、エリート意識だけは無駄に高く、協力会社(という名の下請け)へは、異様に偉そうな態度を示す。企業の看板を外されたら自分に何が残るのかを全く自覚していない。


一方、下請となる中小零細企業へ目を向けて見る。

こういった企業は、いかにSEの稼働率を上げるかが、経営の最重要課題となってしまっている。

SEのスキルアップなど一切考慮せず、ただ目先の金に追われ、声がかかったところに売り飛ばしているだけである。

SEをやりがいのない現場へ放り出し、派遣先にいわれるがままに、長時間勤務を強いている。さらに派遣先から単価を抑えられた分のシワ寄せをすべてSEの給料へ押し付ける。

そのくせ経営者は自分の収入だけはしっかり確保し、日々、遊興に明け暮れている。

SEの退職は、経営者の生活を脅かす。そのため、経営者は、自分のあらゆる権力を乱用し、圧力をかけ、退職を阻止する。

追い詰められたSEは、運が悪いと、体や精神を病んでしまう。

経営者は、反省するどころか、悪い評判が広まったり、労災などで、余計なコストが発生することを怖れるあまり、すべての責任をSEへ転嫁しようとする。

いわゆるブラック会社とはこう言う会社のことを指すのではないだろうか。

そして、そのようなブラック会社に勤めているSEにも問題がある。いやなら辞める権利ももっているにもかかわらず、辞めようとせず、自らの境遇を嘆くばかり。

行動を起こしたかと思えば、匿名で世間に助けを求め、自分に対する処遇の改善を求めるだけ。

自分自身を変えようという発想もないし、会社を良くしようと思う気持ちも一切持ち合わせていない。

いつか独立したいとうそぶきながら何も行動も起こさない。試しに独立して何をしたいのかを問うてみると、楽して稼げるような濡れ手で粟のビジネスばかりを妄想ししているだけだ。

業界がパッとしない根本的な原因

こういった課題は、以前から認識されており、少しは改善されているのであろうが、かけたコストを考えると、効果はないとしか言えない。

それはなぜか?

この問題はトップダウンの力だけではどうすることもできない問題だからである。

「SEが未熟な間は、管理を厳しくし、SEが独立心を持つのを待って、徐々に管理をゆるくしよう」という考え方もあるが、それはうまくいかないことは歴史が示している。

日本は長年に渡って、支配する側と支配される側に分かれていた。支配される側は、ひたすら受け身で、自分の「損」を最低限にしようと、うまく支配者をごまかしながら過ごしてきた。

会社の利益、国の利益なんて本気に考えられるわけがない。

企業は、そのようなSEの気風を正そうとして、強権を発動してきたが、全くの逆効果なのである。

「支配」「被支配」の風土はこの国の風土として染み付いてしまっている。


大企業の一人ひとりのSEと話してみると、意外とまともな人間が多い。

個人の持っている志はみな崇高だ。

しかし、いざ組織の一員に組み込まれると、だめな風土に飲み込まれてしまうのだ。あたかも一人の人間の中に複数の人格がいるかの様だ。

それはなぜだろうか?

結局のところ、個人の意思は、その「風土」に押しつぶされているのだと言える。

こういったことが問題の根幹にあるため、国を挙げて、MicrosoftGoogleを超えるようなIT企業を興そうとしてもうまくいかないのだ。

つまり、事態の打開のためには、まずこの風土を一掃することが重要となる。

「達人プログラマー」のミッション

その風土を一掃するためには、トップダウンによる施策では無理だ。この状況を言葉で伝えてまわってもなかなか理解されないだろう。

誰かが先駆者となって、手本を見せるしかないのだ。

手本たり得るのは、1つのプロジェクトに一人はいるかと思うが、いわゆる「達人プログラマー」である。

しかし、単純に彼らに頼れない事情がある。

達人プログラマーは、プロジェクトを経験しながらスキルアップを続け、ある程度のレベルに達すると、大企業へ転職してしまう。
そして、悪しき風土に毒されてしまうのだ。

日本の課題、業界の課題を認識しながらも、大企業に入ってしまうと悪しき風土に毒されてしまっているのだ。

わが国のIT業界を盛り立てるためには、国や大企業も頼りにならず、達人プログラマーもいまいちとなれば、我々がバカSEどもを先導し、達人プログラマーらにも進むべき道を示すしかない。

我々はもちろんIT技術には疎いが、幕末明治の時代に先駆的に欧米の文化に触れ、それなりの地位を築いてきた。

維新の改革にも、微力ながら貢献し、我々が関与しなかった各種改革についても、我々が望んでいたものだった。そのため、世間は我々を「改革者」として認め、我々を目標としているもの少なからずいたのである。

今、新しいことを先導するのは我々「改革者」しかいないと切に思うのだ。

変革を実現するためには、「命じる」よりも、「諭す」方が効果がある。諭した上で背中で語る方となお良い。

我々はこれまで、一身独立して、それなりの地位を得、教育、ビジネス、法律、出版と日本国民の分限を越えない範囲であらゆることをやってきた。

国の誤りに気づけば、地位を失うことを恐れず、堂々と議論し、先述したような悪しき風土の一掃に努めてきたのである。

そもそも独立してできることは、多分野に及ぶ。SEも一人ひとり得意分野は異なるだろう。

我々は巧くやるための手段を教えたいのではない。ただ、「独立」と言う方向性を示したいだけなのだ。

我々が歴史に残した爪跡を見て「SEは、業界や企業の歯車ではない。SEは独立して、自分のミッションを遂行し、業界を自ら変革する意気込みで仕事をするべし」と言うメッセージが伝われば、SEは漸く自分のミッションを見つけ出し、悪しき風土から脱却し、業界の一メンバーとして、歯車ではなく、変革推進のコアメンバーとして、業界の発展に貢献するであろう。

最後に

本章では、達人プログラマー、業界を、そして社会を変えたければ、大企業に入るよりも、独立するべきという説を述べた。もし、これに反論があるのなら、是非伝えて欲しい。その意見が正しいと思ったとき、私は考えを直ちに改める用意がある。

付録

こちらのエントリーについて、いくつか質問があったのでそれを以下に記載する。

1.業界や社会を変えるには、やはり影響力のある大企業に入った方がよいのではないか?

本文に書いたように、トップダウンの力だけでは業界を変えることはできない。これまで国や大企業が中心となって、いろいろやってきても効果がなかったのが現実だ。

ベンチャーによる挑戦は、確かに多くの困難が待ち受けているだろう。

しかし、可能性がある。

やってみないとわからないが、可能性が少しでも残っていることに立ち向かうのが「勇者」というものだろう。


2.国や大企業に優秀な人材が入ってこなくなったらまずいのでは?

全く問題ない。そもそも現在はポストが多すぎるのだ。

業務が合理化され、要員が減れば、組織にとっても国民や顧客にとっても良いことづくしではないか。

そもそも人を抱えるために不要なポストを作っている現状が問題なのだ。

また、優秀な人材が日本を出て行くわけではない。日本へ貢献することには変わりがない。


3.達人プログラマーに独立すると、業界の反対勢力になるのでは?

器が小さい。繰り返しになるが、政府に勤めていようが、大企業に勤めていようが、ベンチャーに勤めていようが、業界をよりよくしたいのは思いは同じである。

何も怖れることはない。

4.独立したら、収入が減るのでは?

まったくもって問題外の質問だ。

君子のいうことではない。高度な教育を受け、スキルを身につけているれば、どういう地位でも活躍できるはずである。

仮に、官僚や大企業の方が報酬をもらえるとすれば、自分の実力以上の利益を貪っているということだ。

独立したら生計がなりたたなくなるような、大組織の人間は、国や企業の利益を貪っているだけの小物で、我々の友人ではない。

おすすめ本

学問のすゝめ (岩波文庫)

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学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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学問のすすめ (まんがで読破)

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かつてネトゲで数十人を率いた妻の「あいさつ論」

はじめに

 お久しぶりです。これまで妻語録をツイッターで公開してきましたが、最近は妻は、子育てに専念しているため、お休みが続いております。

 最近、妻の使っているパソコンが壊れました。そして、僕のパソコンを共用しているのですが、そんな中、とてもよいメモが残っていたので、妻の了承を得て、公開することにしました。

 あいさつが苦手という方、これを読んだら、少しはあいさつできるようになるのではないでしょうか?
僕も明日から頑張ってみます。

あいさつをしよう

毎日あいさつをすること。


職場の人に、毎日自分からあいさつをしよう!


なぜか?
それは、お金が発生するからだよ。
自分のためなんだよ。


人に嫌われることほど損なことはない。
先入観で、自分の成果物をマイナスに見られてしまうので、時給がさがってしまう。


清潔であること。
朗らかであること。
健康であること。


これらを気を付けていれば、たいていの人は、そうそう嫌いにはならないもの。


そして、毎朝あいさつをすること。
人に言葉をかけるというのは、若干の負荷、ストレスがかかってしまう。
実は誰しもがやりたがらないのだ。


それを最初に肩代わりするのがあいさつをこちらからすること。
それは、ごく少量の恩を売ることができる。
それは、つまり、相手は気持ちよく返さざるを得ないのだ。
それが、あいさつをされて気持ちよくなること。


自分があいさつをしようかどうしようか、悩む一瞬のストレスを肩代わりしてくれる。
金額にして数円の価値かもしれないが、あとで大きなお金になる。
相当ハイリターンになる投資である。


あいさつをする。
それだけで、自分の成果物に対して、10%増しの好感度でみてくれるのだ!
つまり、時給1000円が1100円にもなる瞬間。
お金を生む瞬間。


そう考えると気持ちよくあいさつができないか?


生理的に好き、嫌いあると思う。
誰に似ている、似ていない、なども。


でも、あいさつをして、そんなものは吹き飛ばしていけばいい。


気持ちよく上書きしてしまえばいい。

第三編 立ち上がれ!中小零細ソフトハウス

はじめに

久々に更新します。今回訳した第三編「一身独立して一国独立する事」は、開国して間もない日本が欧米諸国と対等に渡り合うためには、みなが独立心をもつことが必要だと説いています。今回は、欧米諸国を大手SIerに、日本を中小零細ソフトハウスに読み替えて訳してみました。

IBMも中小零細ソフトハウスも同等の権利を持っている

SEは貧富の差、スキルの差、地位の差に関係なく同等の「権利」を持っていることを第二編で述べた。
本編ではさらに広げて企業間の関係について述べる。
会社は、人の集合体である。IBMIBM社員の集まりである。名もない中小零細ソフトハウスも、そのソフトハウスに属する社員の集まりである。
IBMのSEも中小零細ソフトハウスのSEも、先に述べたように同等の「権利」を持っている。
一人が一人に対して迷惑をかけてはいけないとの同様に、複数人複数人に対し迷惑をかけてもいけない。人数は関係ないのである。
今IT業界を見渡すと、人材も資本も豊富で強大な力を持つ企業もあれば、人材も乏しく資金繰りも厳しい零細企業もある。
一般に上場企業には力があり、中小零細ソフトハウスには力がない。確かに雲泥の差がある、しかし、これは「状態」の話にすぎない。先に書いたように、会社の力の差に関係なく権利は同等なのである。大企業が零細企業へ無理を強いるのは、相撲取りが病人の腕をへし折るのと違いがない。そのようなことは許してはいけない。
会社間の力の差は、自然の摂理で決まっているものではない。大企業でも努力を怠れば凋落するし、零細企業でも努力すればリーディングカンパニーになりうる。
中小零細ソフトハウスも現状に甘んじることなく、あきらめることなく、社員一人ひとりが独立心を持ち、会社の成長を目指すのなら、大企業を恐れる必要はない。大企業からの要求であっても、道理に合っていることならそれを聞き入れ、合っていないことについては聞き入れなければよいだけである。
繰り返すが、社員一人ひとりが独立心をもって初めて、会社は独立企業として価値を持つのである。

社員一人ひとりが独立心を持ってはじめて会社は会社として成立する

 先ほど述べたように、大手SIerも中小零細ソフトハウスも同等の権利を持っている。しかし、それぞれの社員に独立心がなければ、誰も独立した会社として付き合ってくれない。
独立心を持たない社員ばかりの会社は、他の会社と同等に付き合うことは難しく、下手をするといいように使われ、振り回されるか、全く相手にされないかのどちらかになるだろう。
このような会社が独立した一企業として認められるための社員の独立について、ポイントを3つに絞り込み以下に述べようと思う。

その一 独立心のない者は会社のことなんて考えていない

 「独立」とは、自分の身を自分でコントロールし、他人に頼らないことを指す。
例えば、自分で情報を取捨選択し正しい判断を下せるものは他人の意見に頼らず独立していると言える。自分の稼ぎだけで生活できる者は経済的に独立していると言える。
経営者も社員も、誰もこのような独立心を持たないとどうなるか。社員は、経営者や上司からの指示を待ち、ただ言われたことを実行するだけ。社員がそういうスタンスで仕事をしているのにもかかわらず、経営者は社員が稼いだ売上をピンはねするだけで、これといったビジョンもなし。そうするとただ目先の金にのみ目を奪われ、自分たちがどこに向かおうとしているのかわからなくなってしまう。
 「民はこれを由らしむべし知らしむべからず(人民はとにかく従わせろ、何も知らせる必要はない)」とのたまう人がいるが、今の時代では大きな誤りだ。リーダーシップを生まれ持って備えたものは、千人に一人くらいしかいない。仮に社員数1万人の会社があったとしよう。そのうち、リーダーシップを備え持っているのは、10人程度という計算となる。そうすると彼らが会社を支配し、残りの者は何も知らない「お客様」となる。「お客様」というスタンスで仕事に望むと、ただリーダーからの指示に従うだけになる。社員は自分のことを「お客様」と思って仕事をするので、会社のことなんて考えるはずもない。
 そういう状態でも内向きには、ある意味統制がとれ、特に問題が発生しない場合もある。しかし、外向きのことを考えると大きな問題である。例えば、協力なライバル会社が出現した時など目も当てられない。皆お客様なので自分の生活を犠牲にしてまで戦おうと思うものが皆無に近い。会社が危機に直面すれば、会社を立て直すことを考える前に、転職先を探すだろう。このような会社は社員数が1万人の会社だと言っても、会社のことを考える人間は、わずか10人しかいないのだ。そういう会社は、「独立」しているとは言えない。

 戦国時代、駿河今川義元は、数万の兵を率いて織田信長を攻めたが、桶狭間で討たれた。すると駿河の軍勢は、蜘蛛の子を散らすが如く、戦いもせず逃げ去った。こうして今川家は一夜にして滅びたのである。
一方でその3年ほど前、ヨーロッパではフランスとプロシアが戦い、フランス皇帝のナポレオンが捕らえられた。しかし、フランス人は諦めずに戦い、必死の抵抗の末に和睦に至った。その結果フランスは滅びなかったのである。
今川家と全然違う。何が違うかというと、駿河の人民は義元一人にすがり、お客様のつもりでいたのである。しかしフランス人は、自国を自分のものとして考え、自国のために命をかける覚悟があったのである。

 このように、独立心を持った社員が会社のことを自分のことのように考えるようになって初めて独立した会社となりうるのである。

その二 社内で独立心のないものは、社外でも独立心を持てない

 独立心のない者は、必ず人に頼る。人に頼る者は必ず人を恐れる。人を恐れる者は必ず人に媚びる。常に人を恐れ、媚びている者は、その状態に慣れてしまい、面の皮が鉄のように厚くなり、恥ずべきことを恥じず、議論すべきことを議論せず、ただ上の人間に対し、腰を低くするだけだ。
さらにそういう傾向は、習慣になってしまうと改めにくい。例えば江戸時代から明治に入って、士農工商の身分はなくなったが、その習慣はなかなかとれず、上にペコペコする体質は変わっていない。為政者にとってもそれが都合がよかったので、その悪しき習慣を助長してしまった。
そういう輩は結局、外部に対しても媚びへつらうのである。奴隷根性がなくなっていないのだ。内部でペコペコしているものが、外にでて堂々とできるわけがないのである。
 例えば、零細ソフトハウスのSEが大手SIerに常駐することになったとしよう。彼はまず大手SIerの豪華な建物に圧倒される。そして、受付にいる綺麗なお姉さんに見とれる。そして、居室に入れば、設備に驚く。そして、その大手SIerに関わっているというだけで、舞い上がってしまい、自分の会社のことは伏せて、皆に入館証を見せびらかしたりする。そんなメンタリティで仕事をするから、大手SIerからの指示は、どんな無茶な指示であっても断ることもできず、ハイハイと聞いてしまい、自分の会社に不利益を被らせるのだ。

その三 独立心のないものは、他人の威光を悪用する

 江戸時代、人に金を貸し、徳川御三家などの有力者の名前を借りて、返金を迫るというようなやり口が横行していた。貸したお金を返してもらえないときは、本来は、政府に訴えるべきである。それをせず、他人の名前を借りて脅して返金させるというのは卑怯である。SEの業界でもそのような他人の威光を悪用するような事例を耳にする。例えば、能力のない経営者に愛想を尽かし、転職しようとする社員に対し、「俺は大企業A社の有力者と知り合いだ。今お前が辞めるのだとしたら、その人にお前の不義理ぶりを話し、この業界にいられなくしてやる」などと脅す経営者がいるという。そういう他人の威光を借りるような行為を続けていると自社の骨格が腐ってくる。独立心のないものは、便利だと言って油断してはいけない。平気で会社の骨格を腐らせるのだ。



 上記に述べたことは、独立心がないことにより、生じる災害だ。まずは自分の独立心を育て、余力があれば他人の独立を助けるのがよい。みなが独立してはじめて会社として成立する。人を縛り付け、無理やりいうことを聞かせるのではなく、お互い独立して苦楽を共にすることが大切だ。

おすすめ本

学問のすゝめ (岩波文庫)

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学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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学問のすすめ (まんがで読破)

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