第二編 SEはみな平等である

「状態」と「権利」は異なる

 初編の最初に「SEは皆、生まれた時から上下の区別なく自由である」という旨を書いた。このテーマについてさらに深堀したい。

 繰り返しになるが、すべてのSEは生まれたときから平等である。
しかし、ここでいう「平等」とは、スキルや給料、または地位と言った現在の「状態」が平等であるという意味ではない。「権利」が平等であるという意味である。スキルの差、貧富の差、地位の差は存在し、さらにそれらの差は非常に激しい。大豪邸に住んで高級な服を着て、毎日高級料理を食しているものもあれば、犬小屋のような借家に暮らし、衣食すらままならない者もいる。また自分の才能を大いに活かして、国や社会に大きな影響を及ぼすシステム開発に主体的に関わる者もいる。その一方で、一生誰でもできるような低賃金の単純労働だけをしてSE人生を終えるものもいる。経営者や管理職のように、組織の中で強い権限を持つ者もいれば、まったく権限のないヒラ社員もいる。文字通り「雲泥の差」があるが、「権利」という面から見れば、みな平等なのである。

「権利」はどんなSEも平等に持っている

 ここでいう「権利」とは、命を大切にし、財産を守り、名誉を大切にすることを指す。これらは生まれたときから天から授かったものであり、何人たりとも侵すことのできない領域である。社長の命もヒラ社員の命も、命の重さは同じである。金持ちのお金も、貧乏人のお金も、自分の財産として守る気持ちは同じである。世の中の悪い習慣で「お上(経営層や上司を指してこう呼ぶ)がいうのでしかたがない」と言って、上からの支持を無条件に受け入れる時があるが、それは立場と権利を取り違えているのである。上司と部下は立場こそ異なるが、持っている権利は同じである。部下が痛いと思うことは、上司も痛いのだ。上司が甘いと感じるものはは部下も甘いと感じるのだ。痛いものを遠ざけ、甘いものを得ようとするのは人として当然の欲望である。迷惑をかけずに利をとるのは人が生まれながらに持っている権利である。この権利は上司もヒラ社員も重さに違いはない。上司は人事権、決裁権などを持っていて立場上強く、ヒラ社員は弱いだけである。貧富の差や社内の上下関係などは確かに存在するが、その差を持って強者が弱者に対して、無理を強いるのは権利の侵害にあたる。例えば、相撲取りが力が強いからと言って一般人の腕を折るようなものである。一般人の力は弱いけれども、弱いなりにその腕を使う権利はあるのに折られるのは非常に迷惑である。

立場の差を利用した「権利」の侵害例

 また、この議論を実社会に当てはめてみよう。江戸時代は、武士と庶民との区別ははなはだしく、武士は猛烈に権威を振りかざし、農民や町人を罪人のように扱っていた。その最たる例が「切捨御免」という法である。武士が家に来れば席を譲り、ひどいことに自分の家で飼っている馬に乗ることも禁じられるなど不条理な扱いを受けていたのである。

 次に現代の会社にあてはめてみよう。社員は、会社の経営方針に従い、上司から指示された業務を全うすることが職分である。逆に、経営者は、会社の継続的な成長を目的とし、目的を達成できるための案件を受注しつづけ、社員の働きに応じて安定して給与を支払い続けることが職分となる。

 社員に対する労働条件や職務内容、そしてそれに対する待遇は会社と社員との間で合意が得られた事項である。これらの内容をお互いが守っていれば特に問題は生じないのだが、経営層や上司がその権限を利用して、社員や部下に対し、不条理な扱いを行うことがある。例えば、決められた勤務時間を超過して働かせた挙句にその分の対価を支払わないケースなど日常茶飯事である。

 業務内容と待遇とにギャップを感じた場合、別の会社へ移ることは社員としては当然の権利である。しかし、経営者が、その立場を利用し、「自分はこの業界では顔が広い。ここを辞めるならこの業界では働けなくしてやる」などと脅して、辞めさせないようにするようなトラブルが多発している。

 そのようなとき、経営者は「今までおまえのために必死になって仕事を取り、給料を払ってきたのに、辞めるとはなんて恩知らずなのだ!」と社員を責めたりするが、仕事を受注することや給与を支払うことは、当然の義務に過ぎない。それは社員が「いままで会社の利益のために時間を割き、労働力を提供してきたじゃないか!」と言うのと変わらない。ただこんなことを言っても売り言葉に買い言葉であるだけで建設的ではない。とにかく一方的に恩を感じろと強要するのは筋違いなのである。

 そのような悪習がまかり通っているのは、その元は人間同等の意味を取り違え、貧富強弱の差を悪用し、立場が強いことをよいことに、弱い社員の権利を侵害するからそういうことが起こるのである。そのため、人は、権利は等しいことを忘れてはいけない。これは社会でもっとも大切なことと言える。

「ブラック化」は社員にも責任がある

 ここまでは、労働者の肩を持って話してきたが、一方で社員にも自分を戒めるべきことがある。そもそも会社と社員は、双方合意のもと雇用関係を結んでいるのである。その際の条件としていったん守ると約束したルールは、自分にとっていくら都合が悪くても、ルールが改定されるまでは守る必要がる。これが職分である。

 社員の中には、まったくスキルがないくせに勉強もせず、ただ会社に来ているだけで何の貢献もしないのにもかかわらず、欲ばかりが深い者がいる。そういう者は、勤怠が悪く、残業代をもらうために無駄に遅くまで会社に残ったり、定期券代などの経費をごまかしたりして、自分の会社に対する職分をまったく理解せず、自分がいかに楽をしながら、いかに高い給料をもらえるかばかり考えている。こういうものに部下がつくと、部下にもそのような悪習が伝播する。会社にとっては害としか言いようがない。

 こういう者に対しては、会社も強い態度で臨むしかなくなり、必然的にルールは厳しくなる。このようにして経営層の権限が強大化し、「ブラック企業」と化するのである。そのため、前述したような社員がはびこる会社にはブラック企業が多い。会社のブラック化を回避するためには、経営層が変わるだけでなく、社員も常に勉強を続け、高いモラルを持ち、経営層に対しても毅然とした態度がとれるようになることが必要だ。

 そのために私は学問が必要であると説いているのである。

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学問のすゝめ (岩波文庫)

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学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

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