はじめに、国語の先生の話
今日は、タイトル通り、ドラクエ映画の話です。
・・・が、一応中学受験ブログなので、最初に、少しだけ、塾の保護者会で国語の先生から聞いた話を書いておきます。
最近の入試の傾向として、正解のない問題について、問われることが増えてきているそうです。
例えば、今も世界中で紛争が起こっています。
ただ、双方の立場に立つと、どちらが善でどちらが悪かは一概には言えないことも多いです。
子どもたちにも、そういう正解のない問題があるということを認識してもらったうえで、
「それで君はどう思う?」
と問われた時に、きちんと自分の考えと、そう考えた理由を語れるような力をつけてもらわないといけない。
というお話でした。
今回のテーマも、正解のないテーマのはずですが、何故かネット界隈では否定的な意見が大半を占めています。
が、世の中全員がそう思っているわけではなく、肯定的な意見もあり、僕はその立場にいます。
そのことを、知ってもらうべく、この記事を書きました。
映画を観てきました
映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」を観てきました。
もちろん夏期講習中のサピ子はお留守番です。
映画は、男3人(大人+小3+園児)で観てきました。
この映画は、ネット上では相当酷評されています。
そのことを知ったうえで、さらに、結末のネタバレ記事にも目を通した上で子供を連れて観に行きました。
子どもにも「つまらないかもしれないよ?」と予め断っておきました。
ファンタジーの効能
「モモ」や「はてしない物語」の作者であるミヒャエル・エンデが次のような言葉を残しているそうです。
私の考えでは、ファンタジーというものは現実から逃げるための手段ではなく、現実に到達するためのほとんど唯一の手段です。
引用元へ
話は戻りますが、今回のドラクエの映画は、このことを映像化して、僕らに伝えてくれたのだと思います。
ドラクエの世界は頭の中に描かれる
今は、技術の進歩も凄くて、ゲームの画像もむちゃくちゃリアルに描けるようになっています。
一方で、最初のドラクエが発売された頃は、まだファミコンの時代でした。
ドット絵の荒い絵のキャラクターがテクテク歩き、荒いドット絵と文字の情報のみで物語が進みます。
ゲーム中に文字で「魔王が世界を征服しようとしている」と表示されただけで、僕らプレイヤーの脳内で、魔王の恐怖に覆われた世界が広がるのです。
映画の原作となったドラゴンクエストVがスーパーファミコンで出た時も「天空のつるぎ」や「ドラゴンのつえ」など、単なる文字情報でしかありませんでした。それでも、ドット絵のキャラが脳内で変換され、最強の装備をまとったイメージが広がるのです。
ドラクエのプレイヤーは、ゲーム画面を介して脳内に壮大なイメージを描きながら、冒険をしているのです。
だから、実はドラクエのプレイヤーは、それほどリアルなグラフィックを求めているわけではないと思います。
開発側もそれを理解されているんじゃないかなと思うのです。
だから、最新作のXIでは、最新のハードで、臨場感のあるグラフィックを作り込みつつ、昔ながらの2D画面も用意しているのだと思います。
それよりも、いかに脳内にイメージが描けるか、ドラクエの世界に入り込めるかというところに注力し、ストーリーだけでなく、セリフやゲームバランスに細心の注意を払っているのではないかと思います。
この映画は、僕らが脳内に描いたイメージを映像化してくれたものです。
かつてのドラクエVのプレイヤーの期待値が上がりまくるのは、無理もありません。
個人的には、期待通りでした。
ネット上も賛否両論あるものの、映像そのものには、合格点をつけている方も少なくなかったんじゃないかなと思います。
あの映像で、かつてのゲーム内の音楽が鳴るだけで胸が高鳴ると思うんですけどね。
脳内の体験は財産である
脳内に広がったイメージは、当然ながらゲームのスイッチを切れば消え去ります。
それでは、この脳内のドラクエ体験は人生の無駄遣いなのでしょうか?
そうではないのです。
先ほども書いた通り、ミヒャエル・エンデは「未来の世界はファンタジーからしか生まれ育たない。」「現実に到達するためのほとんど唯一の手段」と語っています。
また、僕が見た範囲で、このドラクエの映画を賞賛されている方は「夢をかなえるゾウ」の水野敬也さんだけでした。
僕も、水野さんがツイートしている通りだと思います。
この映画は、僕らが脳内に描いたイメージを映像化し、当時の冒険を思い出させてくれながら、その経験が無駄ではなかったと教えてくれているのです。
また、小3の息子は、ゲームはやっことがないので、僕とは全く違う体験をしたとは思います。
むちゃくちゃ感動したようで、留守番だったママとサピ子に、どれだけ素晴らしい映画だったかを力説していました。
ストーリーを1から順番に全部話そうとするので、ママは若干疲れていましたが汗。
園児の弟君も、「ゆうしゃ、つよかったね」と満足そうでした。