初編 天ハSEノ上ニSEヲ造ラズ

はじめに

 「学問のすすめ」は僕のSE人生に大きな影響を及ぼした本です。当時、福澤諭吉先生に本当に叱咤激励されているような気分になりながら読んだのを覚えています。本書は明治初期に書かれたものですが、今でもビジネス書として自己啓発本として、とても参考になります。少し前からSE向けにアレンジしてみようと少しずつ書いていましたが、ようやく初編を書き終えたので(全部で17編あります)、過去に掲載していたものも一度まとめてみました。少しでも「学問のすすめ」の面白さが伝わればと思います。

天ハSEノ上ニSEヲ造ラズ

「天はSEの上にSEを造らず、SEの下にSEを造らず」と言われている。しかし、IT業界を見渡すと、生産性の高いSEもいれば低いSEもおり、その差は10倍以上という説もある。年収が300万円以下の貧しいSEもいれば1,000万円超の金持ちのSEもいる。社会的に影響力のある大規模なプロジェクトを手がけ、その名声を欲しいままにしているSEもいれば、上からの不条理な指示を飲まざるを得ず、日々泥沼でおぼれているSEもいる。この雲泥の差はどうして存在するのか? この差はひとえに学問をするかしないかで生まれた差である。
 また、システム開発業務には難しい仕事もあれば簡単な仕事もある。難しい仕事をするSEをハイレベルなSEといい、簡単な仕事をするSEを低レベルなSEと呼ぶ。一般的に頭を使う仕事は難しくて、手足を使う仕事は簡単である。だから、最先端の技術を担う専門家や、大企業の経営戦略を支えるITコンサルタント、また数百人月以上の大規模プロジェクトマネージャーなどは、ハイレベルなSEと言える。そういったハイレベルなSEは、社会的地位も高く、収入も高い。下々のSEから見れば、雲の上の人と思えるかもしれないが、元をたどれば、勉強したかしていないかだけでできた差である。もちろん生まれながらに決まっていることではないし、所属している会社によって決められるものではない。
 繰り返しだが、SEは生まれながらにして差はない。学問をして業務知識や技術を深いところまで身につけたSEが、ハイレベルで高収入のSEとなり、そうでない者が低レベルのSEになってしまうのだ。

SEにとって必要な「学問」とは?

ここでいう「学問」とは、難しい言葉を知ることでもない。難しい古典を読むことでも、小説や詩をたしなむことでもない。そういった実務に関係のない学問を指しているのではない。このような文学も、確かに心を豊かにする大切なものだが、自分のことをすごいと自慢する文学に詳しいSEがごくたまにいるが、それほど自慢するようなことではない。
 実際、そういう学問にだけ詳しいSEは、特段裕福でもないし、ビジネスで成功しているSEも少ない。このような知識がSEとしてのキャリアアップにつながらないことを物語っている。
 今すべきは実務に必要な学問だ。例えば、ドキュメントやメールなどの文章の書き方、物事を定量的に把握するための数学の知識は、随所で効果を発揮する。実際に起きているシステムの現象を科学的に分析する洞察力も大切である。また技術動向については、日本国内だけではなく、世界の動向を知ることが重要である。IT技術や対象としている業種の歴史も知っておいて損はない。会計を学べば、一家の家計から、プロジェクト収支、会社全体の収支に至るまでのコスト感覚を身につけることができる。修身学(今で言う道徳)を学べば、顧客や上司、同僚や部下と良好な関係を築くことができる。
 こういった学問は、プロジェクトマネージャも、下請けのテスターも立場の区別なくたしなむべきものである。これらの学問を行った後に、自分のミッションをやり遂げることで、一SEとして独立し、プロジェクトチーム、会社、そして国家が独立するのである。

「自由」と「わがまま」

 学問を行うには、自分の立場を把握し、やって良いことと悪いことを理解することが重要である。SEは生まれながらにして、誰にも縛られることなく、一人前の男女として自由であるが、ただ権利ばかりを主張して、自分の立場をわかっていなければ、単なるわがままに陥ることが多い。自由とわがままとの分岐点は、他人へ迷惑をかけないかどうかにある。例えば、会社が裁量労働制だからといって、プロジェクトリーダーが会社に来たり来なかったりしていたら、他のメンバーに迷惑がかかる。またメンバーも真似をし始め、チーム全体の勤怠がだらしなくなることさえある。そういうことはやってはいけない。
 また、こういったことは個人だけでなく、会社や国にも当てはまる。かつて日本は鎖国していたが、江戸末期に黒船が来航してから諸外国と交易を結ぶようになり、自国のことだけを考えていればよいという時代は終わった。IT業界も同様、大小さまざまな会社が相互に関係しており、自社のことだけを考えていては存続できない。教えあい、学びあい、卑屈になることもなく、傲慢になることもなく、顧客や他社とwin-winの関係を築くことが大切である。零細ソフトハウスの意見でも正しい内容であれば耳を傾け、大手SIerや上司からの指示でも誤ったことであれば断固反対してもよいのだ。不条理な圧力をかけられた場合は、それに屈することなく命がけで自分や自社を守る姿勢を「自由独立」と呼ぶのだ。
 明治に入って、士農工商身分制度がなくなり、国民は皆平等ということになった。今日では、生まれながらにして身分が決まるのではなく、築いてきたスキルによって社会的な地位が決まるようになっている。例えば、大規模プロジェクトにおいて、元請となるSIerが大きな力を発揮することは当然のことだが、それと身分の上下とは別の話である。元請SIerの担当者は、自分の能力を発揮して与えられた役割を務め、プロジェクト成功に寄与するために一目おかれるのである。その人自身が何か特別な権限を持っているわけではない。江戸幕府のころは、将軍ゆかりのお茶壷や鷹に対しても、民衆はひれ伏していた。日本ではこういうことが何千年も行われてきたが、これらは政府の威光を借りた卑怯なやりかたであり、虚勢というものである。今日に至っては、こういう悪しき慣習は公には廃止されているはずなので、みな安心してよい。仮に不満がある場合は、それをかみ殺してこっそり恨むことなく、正しい手順を踏んで、遠慮なく議論してもよい。天地天命に誓い、正しいといえることならば、元請に対しても上司に対してもSE生命をかけて戦うべきなのだ。これが一SEとしての義務というものである。

愚かなSEの上にブラック企業あり

 先述したとおり、SEも会社も国も「自由独立」の存在である。もしその自由を妨げようとする者がいれば、世界を敵にまわしても恐れることはない。もし、あなたの自由を妨げる者がいても、たとえそれが会社の上司であっても大手SIerの実力者であっても恐れることはない。ただし、SEには、それぞれ課せられる業務がある。自分に課せられた業務を全うするには、それができるだけの能力を身につけなければならない。能力を身につけるためには物事の仕組みを知らねばならない。そのためには書物を読まなければいけない。これが学問が急務であると説く理由である。
 学問を身につけていないSEほど憐れむべき存在はない。教養がないのは恥を知らないことに至る。学問を行わないために収入も増えず、待遇もよくならないのに、それを全部会社や上司のせいにして、会社に来なくなったり、経費をごまかしたりし始める。そのように社員が乱れ始めると、会社は厳しい規制をかけるようになる。規制をかけるのにもコストがかかるので、その分給料も減り、待遇がどんどん悪くなる。「愚かなSEの上にブラック企業あり」とはまさにこのことをいうのだ。これは会社が悪いのではない。愚かなSEの身から出た錆なのである。
 逆に社員が優秀なSEとなれば、会社の顧客満足度も社員満足度も向上する。会社に貢献しよう、ひいては国に貢献しようという志を持つSEは何も心配することはない。自分の行いをただし、自己研鑽を怠らず、課せられた業務を十二分に全うできるだけの能力を身につければ、会社の待遇もよくなり、居心地もよくなり、仕事が楽しくなる。そして、会社も成長する。これが私が学問をすすめる理由である。

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ (まんがで読破)

学問のすすめ (まんがで読破)